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語源的には腹を膨らますから、膨れるの意味として<フク>、またそのときの形が「瓢」ににているからという説があります。
ふぐは平安時代にはフク(布久)またはフクベ(布久閉)と言われていました。鎌倉、室町の頃はこの呼び方をしています。
「ク」が濁って「グ」になったのは江戸時代からです。ただし、関東では「ふぐ」と言いますが、関西では古来より「ふく」という呼び方を用いたようです。
ちなみに、ふぐのことを「鉄砲」と呼ぶのは、当たれば必ず命を落とすからです。
ふぐを3枚におろした上身のことを「おおみ(近江)」、すぐ上にある皮を「みかわ(三河)」、その上の皮を「とうみ(遠江)」と言います。近江の国の隣は三河で、その隣は遠江です。
これにちなんでシャレて命名したと言われています。 |
各地の貝塚から他の魚と共にふぐの骨が出土していることから、原始時代から食されていたようです。
江戸時代、武家はふぐ食を禁じられていました。ふぐで死ぬのは君主に対して、不義であったのだろうと言われております。死ねば家禄没収、家は断絶などの厳しい罰則が行われていました。庶民にはそんな規制もなく、食していましたが、中毒死は随分あったことと思われます。
明治に入って15年(1882年)、ふぐ食を全国的に禁止しました。
「違警罪即決令」の発布。
昭和22年、食品衛生法が制定されます。規制が厳しくなり、昭和58年にはふぐの可食部を決め、内臓および肝臓の販売・供食を禁ずる法律ができました。 |
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ふぐにまつわる話や川柳、俳句,小噺などは古来沢山あります。
松尾芭蕉は始めのうちは、ふぐを食べなかった。
河豚汁や鯛もあるのに無分別 芭蕉
しかしふぐの美味さには勝てなかったらしい。
あら何ともなやきのふは過ぎてふくと汁 芭蕉
結局、芭蕉は食べたのである。
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